ポタクのあれこれ。

僕の脳内の話。

日曜日と月曜日で反復横跳びしていた日々を。

僕は、日曜日が大好きで、日曜日が大嫌いだった。 

 

子供の頃から一人遊びが得意だった(と言うより、それを苦にしていなかった)僕は、基本的に土日はずっと家にいた。

DSで遊んだり、テレビを観たり、本を読んだり、家族と一緒にお出かけをしたり…

ありふれた日常である。

そうしてる間に月日は流れ、小学校に進み、友達も多くできた。

もちろん、これもありふれた日常である。

ただ一つ、明確な区切りができた。月~金と、土日。

これまでは毎日が日曜日のように感じていた僕にとって、突然の出来事だった。

大きな壁を越えては2日休み、また大きな壁を越えては2日休み…

だからこそ僕は、「音のソノリティー」が始まる音を聞くたびに、ちょっぴり憂鬱な気持ちになった。

小学校の頃は、イッテQを家族で観てから寝るのがお決まりだった。みんなで一笑いした後で、寝支度をしながらも、耳に入ってくる”その音”。

日曜日が月曜日を蝕む。夜が音を立てて崩れ去っていくようだった。

 

 

それでも人は面白いもので、何でも繰り返していくとそれを普通のことと思っていく。中学校に上がるころには、月初の日曜日はスカパーなどの有料チャンネルが揃って無料になるもんだから、寧ろ好きにさえなっていた。

 

 

そして、中学校。関わる人が増えるのは当然のこと。集まった人の、それぞれの文化が混ざり合っていく。そんな中で、ギターってカッコイイなぁと思い、家族に「買ってくれ」と頼むと二つ返事で了承してくれた。でも、すぐに弾かなくなってしまった。ただ、この時の僕に、高校2年生の僕は感謝することになるのである。

(一つ余談だが、家族もみんなジャンルは違えど音楽は好きで、その中でも姉はとにかく流行りの音楽には詳しかった。それに、自分がアイドルの存在を知ったのは姉が好きだったからというのもある。今振り返ってみると、内容までは鮮明に覚えてはいないが、AKBINGOや初期の乃木どこ、その他音楽番組を観ていた記憶はいまでもある。)

 

 

高校はそれなりのところに入り、高校生としての仕事をそれなりにこなした、The平凡の日々だった。

ただ、コロナさえなければ…と思うことは多々あった。”普通”は突如として消え去り、何にもない日々が、只々、過ぎ去っていった。

時間から切り離されたような感覚に襲われた僕は、押入れから、長らく使ってないギターを出してみることにした。久しぶりに弾いたCコードが、なんだかやけに明るく聴こえた気がしたのを覚えている。そこから先は簡単なことだった。Fコードで苦戦してた日々も懐かしく感じる。なんやかんやで、高校ラストの1年はもの凄いスピードで過ぎ去っていった。あっという間な気もするし、とてもとても長かったような気もする。ただ、この1年はかけがえのないものになったのも事実である。いくら年をとっても、鮮明に覚えているだろう。

 

 

そして先日、遂に18年住んだ町を出た。断捨離も完了し、来たる”その日”に向けて、残り時間を家で過ごしていた時は、なんだかソワソワして落ち着かなかった。

もちろん、何事でも「最後」とつくとちょっとばかりはセンチメンタルな気持ちになる。家の家具の配置関係上、夕方になると太陽の光が差し込んできて、テレビがとても観にくくなる。だから僕はカーテンを閉める。これがお決まりの動作だった。

確か、その日も日曜日だった。夕方に録画したドラマを消費しながら、カーテンを閉めた。いつもはその行為にイライラするはずなのに、なぜかそんな気は起きなかった。ちょっぴり悲しくなった。

 

 

 

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カメラロールにあったいつかの夕暮れ時。なんだかんだでこの町が好きだったんだなぁと実感している。もちろん、これを書いている間にも、だ。

 

 

ただ、僕の好きな曲の歌詞に

悲しい台詞が増えたのは 嬉しい場面の前振りだろう

というのがある。

何があるか分からない。でも、ほんの少しだけ、未来に期待してもいいんじゃないか、と思うようになった。

 

 

家族との別れ際に交わした「またね。」という言葉。

その言葉に、目一杯の希望を込めて。

明日に向けて、一歩を踏み出す。

横跳びなんかじゃない。前へ、前へ!