ポタクのあれこれ。

僕の脳内の話。

文学探索② 『老人と海』に見える二面性

さて、先ほどのブログでは日本の作品として『蟹工船』について書かせてもらいました。今回は少し趣向を変えて、海外の作品を見てみましょう。

 

 

今回取り上げるのは、ヘミングウェイが書いた名作中編小説、『老人と海』です。

この作品は1952年に出版されたもので、ベストセラーにもなっています。

 

 

内容としては単純明快で、漁師と一頭のカジキマグロの対決を描いています。三日間における戦いは、死闘という形容がふさわしく、まさに手に汗握る展開となっています。ただ、この作品には少々ツッコミ所が多く、読んでいると「これありえなくない?」となることもしばしば。漁師はかなり年老いた男であるのにも関わらず、三日間に及ぶ漁(しかも相手は大物のカジキマグロ)など出来るのでしょうか?答えはNoでしょう。ただ、文学作品、特にフィクションにおいて、「不可能」を「可能」にすることは、古より与えられたミッションであり、エンターテイメント性を上げるものであると僕は思っています。

 

 

この作品の内容は、上にも示しましたが、ある意味では、ありふれた普遍的な小説であるようにも思えるでしょう。なのに何故、この作品は多くの人から今でも読まれているのか?その答えは、ずばり「二面性」ではないでしょうか。

 

 

この作品において、殆どの場面は海上であり、とてもオープンな場所で物事が進んでいきます。

起こる出来事としては、カジキマグロの釣り上げ、帰り道での鮫から喰らう襲撃の二つです。僕としては、この、有頂天の気分からの落胆という一連の流れが、人生そのものの比喩にしか思えないのです。するとどうでしょうか。だだっ広い海という場所を舞台に、人生という、誰しもが抱える深い事柄を描いているという、「二面性」が浮かびあがってくるような気がします。また、老人は、眠っているときにライオンの夢を度々見ます。これは一人の漁師として、そして一人の男としての野心の現れではないでしょうか。

 

 

個人的には、最後の最後、観光客の一団の女と給使の会話の文章、これが名作を名作たらしめている理由だと思っています。「まぁ、人生こんなもんだよね」という、ヘミングウェイの悲観にも、達観にも思える会話文、いつ見ても痺れます。

 

 

おすすめBGM

ヨルシカ『老人と海

乃木坂46『錆びたコンパス』

(個人的に合うと思った曲も併せて紹介していくつもりです。このコーナーが無い回があっても、あしからず。)