ポタクのあれこれ。

僕の脳内の話。

あの花は僕が大好きだった人だ

2日間に渡って開催された「小林由依卒業コンサート」が、幕を閉じた。

集大成を見せつけるかのように、圧倒的なオーラと表現で観客を魅了し、8年半のアイドル人生に終止符を打った。

 

2日間の中で、披露された欅坂46の楽曲は「風に吹かれても」「危なっかしい計画」の2曲だけであったが、それだけ櫻坂46に楽曲が集まってきたともいえるだろう。彼女の中では、2020年10月13日、あの日で、何もかもをやり切り、全てを宝物箱の中にしまっておくことを決めていたのかもしれない。

2日間の配信では計23曲を披露し、そのどれもで、過去最高を見せ続けてくれた。

その中でも、私の中で特に印象に残った楽曲を挙げていきたい。

 

 

ジャマイカビール

初っ端からのキラーチューン。楽曲を披露する三人からは覇気のようなものが感じられたが、その中でも小林由依は別格であった。一挙手一投足が、見るものを虜にした。

 

 

断絶

曲前のVTRから秀逸。小林由依が6回ドアをノックすることによって、楽曲を暗示させる。暗転の直後から始まるギターのストロークは観客を熱狂の渦に呼び込んだ。ビジュアル、パフォーマンス共にハイレベルなメンバーによって構成されているため、お互いがお互いを昇華し合うような構図になっており、一瞬たりとも目が離せなかった。

 

 

僕たちのLa vie en rose

個人的な解釈になってしまって申し訳ないのだが、この曲は一見恋愛の曲に感じられるが、卒業生に向けての激重な愛を歌った卒業ソングなのではないか?と思っている。

君は 全部全部僕のもの

こういった印象的な歌い出しで始まりながらも、2サビ終わりでは

美しい人生 永遠が終わるまで 夢を見よう

といったように、終わりや切なさを感じさせるフレーズが散りばめられている。

今回は、小林由依以外がみんな2期生であったことも、そういったことを強く思わせた一つの要因なのかもしれない。

 

 

危なっかしい計画

盛り上がって、みんなでタオル振り回して、思う存分はっちゃけられる曲。

青春は熱いね 全部渋谷で学ぶんだ

渋谷区にある代々木第一体育館。今まで何度もライブを行ってきた場所であり、今回の卒コンが行われた場所でもある。酸いも甘いも、喜びも悔しさもこの場所で沢山経験してきた彼女が、笑顔でこのフレーズを歌ってくれたことに、とても嬉しくなった。

 

 

Anthem time

3期生楽曲でありながら、小林由依が参加するという、今回限りのコラボレーションとなった。この楽曲は、ファンがアイドルへ向けた想いが歌詞になったような曲だが、この卒コンでは、小林由依から3期生、もっと言えば櫻坂のメンバーに対するエールのような楽曲に聞こえた。

 

大事なこととは必死さ

会場のボルテージ最高潮にして そんなメンバーがいたと 記憶に残してくれ

いつか卒業する遠いその日まで 僕にすべてを見届けさせてよ

 

涙が止まらなかった。離れても見守っているよ、必死に頑張ってねと背中とパフォーマンスで伝えているようだった。そして、小林由依さん、貴女のことを忘れることなんてないでしょう。いつまでも記憶に、心に残り続けます。

 

 

桜月

個人的ナンバーワン。楽曲の美しさと儚さが、「卒業」にピッタリというのは勿論のこと、演出が神がかっていたと思う。1サビでのステージを分かれてのダンス。

 

君を想う桜 風に吹かれて

 

この歌詞に呼応するように、お互いがお互いを想いながらパフォーマンスしているのが伝わってきた。

2番はステージの上下で分かれながらのパフォーマンス。

 

名残惜しく ゆっくり落ちて行け

 

ここでの小林由依の表情は、まさに桜が憑依しているようだった。

 

暗い夜空の先 確かに今も 満開の桜が見える

あの花は僕が大好きだった人だ

 

ここの演出が圧巻。舞い踊る小林由依に対して、このフレーズが舞い落ちた刹那、彼女は背を向け、フッと消え去る。まるで散っていく桜のように。

 

あんなに美しい散り方ができたらな

 

小林由依がいないまま、パフォーマンスは進んでいく。そこに彼女がいなくとも、楽曲は止まらない。みんなが、小林由依のことを想ってパフォーマンスしていた。旅立つ小林由依に尊敬の気持ちを見せ、華を添えながらも、「私たちはこれからも突き進んでいく」という決意表明のようにも見えた。

 

 

隙間風よ

小林由依が最初で最後のセンターを務める楽曲。歌詞は彼女にダブることも多く、長い年月彼女を見ている人ほど、グッとくるものがあるのではないだろうか。希望の空気によって燃え盛った炎。それによって、微かな風が、彼女を羽ばたかせるほどの追い風になって、彼女の背中を優しく、温かく、そして力強く押してくれることを願う。楽曲終わりの振り向き際の彼女は、輝きと美しさを存分に放っていた。

 

君がサヨナラ言えたって・・・

一人で舞い踊り、ステージに立つ姿は麗しく、幻想的であった。

 

もう振り向かないでよ いつか会える日まで

 

オルフェウス的なフレーズで終わるこの曲。いつかを信じて、ただ未来を真っすぐ見つめたその先で、貴女がどこかにいることを願っている。

 

 

タイムマシーンでYeah!

アップテンポでノリノリな楽曲ながら、歌詞では気恥ずかしさや切なさを歌っていて、よりいっそう観客たちをセンチな気持ちにさせる。会場にはOGたちも大勢いたらしい。欅坂、櫻坂と歩んできた仲間であり、友人。もしタイムマシーンがあったら、いつに戻りたいのか。そんなことを訊いてみたくなった。

 

 

櫻坂の詩

小林由依が、自らのアイドル人生を締めくくるのに選んだのはこの楽曲だった。きっとこれから私たちは、小林由依がいた「当たり前の日々」を思い出したり、懐かしんだりするだろう。時には、切なくなるかもしれない。ただ、そんな時、満開の桜を見て、彼女を思い出した時、また会えるのかもしれない。

 

 

8年半の間、その華奢な背中に沢山のことを背負って走り抜けてきた。欅という木を守り、さらに枝を広げようとした。櫻という木を支え、水を撒き、満開の日を夢見てきた。もしかしたら、「欅坂46小林由依」として、ストーリーを終わらせる選択肢だってあったはずだ。それでも彼女は残り、櫻が咲く日をジッと待った。きっと、その日は昨日だったのだろう。涙を見せずに、凛々しく去っていった彼女は、「櫻坂46の小林由依」としてストーリーを終わらせることを選んだ。小林由依が櫻坂46から卒業するのか、櫻坂46が小林由依から卒業するのか。それは分からない。ただ一つ言えるのは、その後ろに控える、新・桜前線の勢いはすさまじいということ。期待を背負って、残されたメンバーは咲き誇っていくだろう。3月から始まるアリーナツアー。彼女たちは全国で多くの人々を魅了し、沢山の櫻を花開かせていくはずだ。

 

そして、そんな櫻を育ててきたのは、小林由依の笑顔だったということ、私たちは絶対に忘れないだろう。

こっそり吸い込んだ希望の空気

10月16日、櫻坂46公式youtubeチャンネルにて、一本のMVが公開された。

楽曲の名前は、「隙間風よ」。この楽曲のセンターは、小林由依が務める。

ファンにとっては待望のセンター曲であった。欅坂46としてデビューしてからおよそ8年、彼女が正規にセンターとしてパフォーマンスする初めての楽曲である。

ただ、MVの雰囲気は荘厳でありながらも、どこか切なさを感じさせる内容だった。この時から、私はどこか近くにあることを分かっていて、見ずに蓋をしていた「終わり」を密かに感じてしまったのである。

 

 

ギターで弾き語りをする目は、真っすぐにカメラを捉えていた。八重歯が特徴的な子だなと思った。「サイレントマジョリティ」のMVで、自転車を一生懸命に立ち漕ぎしているシーンが印象に残っている。

作品を重ねるごとに成長していった彼女は、センター脇やフロントといった、重要なポジションを任されることが多くなっていった。そういった中で起こった活動休止や卒業、脱退の連続は、グループの活動に陰りを見せると共に、本来のセンターのポジションが空いてしまうという現象を引き起こした。そういった事態の中、彼女はセンターのポジションを任されることが多くなった。期待とプレッシャーに板挟みにされながら過ごした日々の厳しさは想像に難くない。強くならざるを得なかった。そんな中でも、彼女は自分なりの表現を描きながら、グループの道を切り開こうとしていた。欅坂46としての歩みは2020年に止まることとなるが、最後の配信シングルとして発売された「誰がその鐘を鳴らすのか?」では、実質的なセンターを務め上げた。欅坂46アイデンティティとして強烈な存在感を発揮していた故に、彼女は、欅坂46を手放す、終止符を打つという宿命を背負い、真ん中に立ちエンドロールを見届けた。

 

欅坂46を超えろ」と銘打ち、グループは、櫻坂46として新たに生まれ変わり、二期生を中心にしていくことになった。小林由依は、みんなに背中を見せる存在から、センターの背中を守る存在になっていった。とはいっても、どちらの役割にしろ、責任が問われる。彼女は、あの華奢な身体に、期待と重荷と想いと希望を背負って、歩みを進めてきたのである。

 

そうした中、発表された休業は、何時かの記憶が蘇ってくるようだった。ただ、そんな心配を吹き飛ばすように、2021年12月19日、武道館のステージに彼女は帰ってきた。キラーチューンの「ジャマイカビール」を引っ提げ、圧倒的なパフォーマンスで皆を虜にして見せた。こんなにかっこいい小林由依の背中を見て、後輩たちは憧れ、希望を抱き、多くのことを学んだはずだ。

 

三期生の加入、二期生の台頭などで、彼女は後輩たちの背中を見る機会が増えていった。見る、見られるといった立場が逆転する時、アイドルは大きな岐路に立つ。グループのために、道、方向を指し示してきた彼女は、自分自身のために、どんな道、方向へ進むのかを迫られることになった。仲間の旅立ち、後輩の目覚ましい成長を見た時、彼女の決断が卒業へと向かっていくのは、至極当然のことであり、むしろ自然な流れなのかもしれない。

 

思い返すと、「Start Over!」から、どこか雰囲気は出ていたのかもしれない。

君は僕の過去みたいだな 僕は君の未来になるよ

このMVで描かれる、欅坂46アイデンティティの中心であった小林由依と、櫻坂46のアイデンティティの中心を担う藤吉夏鈴の構造は、櫻の木の内側には欅があるという一種の暗示であると共に、未来に向けて繋いできたバトンの受け渡しのようにも見える。未来との対峙を遂行したならば、終わりに向けて、過去と対峙していく。

 

ようやく内容は、冒頭で話していた部分へと戻る。

 

隙間風よ」の歌詞からは、小林由依自身の日々が想像できる。

 

隙間風 音もなく どうして泣いてる?

傷ついても 慣れたから 感じない 何も

 

この歌詞には、休業していた時期が重なる。

作り笑いも出来なくなった日。1日を歩むことってこんなにきつかったっけ。と、一度立ち止まりました」(小林由依2nd写真集 「意外性」より)

辛い日々を乗り越えて、戻ってきた彼女からは、力強さ、そして何より櫻坂46というグループの素晴らしさが証明されているだろう。「微かな風」を感じ、信じ続けていたのかもしれない。

 

このMVでは、欅坂46をモチーフにしたような演出が取り入れられている。

火で燃え上がる格子模様の枠組みは、「誰がその鐘を鳴らすのか?」のライブ映像(https://www.youtube.com/watch?v=fOL3JDWG7aQ)のものとよく似ている。この曲は、先ほども述べたように、欅坂46の幕引きの歌であった。そのイメージが使われ、壊される。場面の再生と破壊。どこかで見た言葉だ。確か、あの日の東京ドーム公演のテーマは「破壊と再生」だったのではないか…

 

ドライフラワーやビンタ後の無表情などと、乾いた質感で進んでいくMVの中で登場する灰は、統一感がある。ただ、あの格子が、欅坂なのだとしたら、それは生きる意味だったものであり、アイデンティティだったものである。だからこそ、丁寧に両手で灰を抱えている彼女に心打たれる。彼女は、優しく、そして静かに灰を地面へと撒いてゆく。櫻、欅といった木のイメージに重なっていく。破壊されたモチーフの灰を、再生を願って荒地に注ぐ。そこには瑞々しささえ感じられる。

 

燃え盛る格子の前で手を伸ばす彼女には、欅坂46の影がチラつく。もし仮に、その伸ばした手を誰かが取ってくれなくても、アイデンティティが崩れていこうとも、待っていれば、鐘の音が鳴る時が来るかもしれない。それを願って、希望を振り撒く。彼女が吸い込んだ希望の空気が、巡り巡って世界を廻り、櫻坂46に大きな花を咲かせるのを切に望む。

 

人生の思い出として残してもらえたら十分です」(東京カレンダー2024年3月号より)

自分がアイドルとして活動したことで、誰かを喜ばせることができたんだなっていうことに、私は幸せを感じました」(BLT2024年3月号より)

 

これらの発言からは、彼女の力強さと、歩んできた道のりに対する矜持がありありと感じ取れる。ファンとしても、貴方がいた日々を忘れることはしないだろうし、記憶の中で力強く、そして優しく存在し続けるだろう。大切なメモリーズ、色褪せぬように…

 

もう振り向かないでよ いつか会える日まで

 

see you again? see you soon?それは分からない。ただ、またすぐに会えるんじゃないか。だって、永遠を信じてるから。

彼女がこれから歩む道に幸せと歓びが満ち溢れていることを願ってやまない。

小林由依さん、8年間お疲れ様でした。本当にありがとう。

文学探索② 『老人と海』に見える二面性

さて、先ほどのブログでは日本の作品として『蟹工船』について書かせてもらいました。今回は少し趣向を変えて、海外の作品を見てみましょう。

 

 

今回取り上げるのは、ヘミングウェイが書いた名作中編小説、『老人と海』です。

この作品は1952年に出版されたもので、ベストセラーにもなっています。

 

 

内容としては単純明快で、漁師と一頭のカジキマグロの対決を描いています。三日間における戦いは、死闘という形容がふさわしく、まさに手に汗握る展開となっています。ただ、この作品には少々ツッコミ所が多く、読んでいると「これありえなくない?」となることもしばしば。漁師はかなり年老いた男であるのにも関わらず、三日間に及ぶ漁(しかも相手は大物のカジキマグロ)など出来るのでしょうか?答えはNoでしょう。ただ、文学作品、特にフィクションにおいて、「不可能」を「可能」にすることは、古より与えられたミッションであり、エンターテイメント性を上げるものであると僕は思っています。

 

 

この作品の内容は、上にも示しましたが、ある意味では、ありふれた普遍的な小説であるようにも思えるでしょう。なのに何故、この作品は多くの人から今でも読まれているのか?その答えは、ずばり「二面性」ではないでしょうか。

 

 

この作品において、殆どの場面は海上であり、とてもオープンな場所で物事が進んでいきます。

起こる出来事としては、カジキマグロの釣り上げ、帰り道での鮫から喰らう襲撃の二つです。僕としては、この、有頂天の気分からの落胆という一連の流れが、人生そのものの比喩にしか思えないのです。するとどうでしょうか。だだっ広い海という場所を舞台に、人生という、誰しもが抱える深い事柄を描いているという、「二面性」が浮かびあがってくるような気がします。また、老人は、眠っているときにライオンの夢を度々見ます。これは一人の漁師として、そして一人の男としての野心の現れではないでしょうか。

 

 

個人的には、最後の最後、観光客の一団の女と給使の会話の文章、これが名作を名作たらしめている理由だと思っています。「まぁ、人生こんなもんだよね」という、ヘミングウェイの悲観にも、達観にも思える会話文、いつ見ても痺れます。

 

 

おすすめBGM

ヨルシカ『老人と海

乃木坂46『錆びたコンパス』

(個人的に合うと思った曲も併せて紹介していくつもりです。このコーナーが無い回があっても、あしからず。)

文学探索① 『蟹工船』に懸けられた命

お久しぶりです。初めての方は、はじめまして。

久しぶりにブログを更新しようにも、何を書こうかなぁと思い悩んでいたのですが、読んだ本の備忘録的なものが書けたら良いのではと思い立ち、こうしてキーボードをカタカタと打っている訳であります。

 

 

さて、一発目にどの本のことを書こうと考えた結果、小林多喜二が書いた『蟹工船』について書いてみようと思います。

僕がこの本を読んだのは高2の冬だったと記憶しています。個人的に本の記憶というのは季節や気温に紐付けて蓄積されていくと思っています。その点では、冬にこの本を偶然に手に取り読むことが出来た僕は、ある意味ラッキーなのかもしれません。

 

 

この作品は、プロレタリア文学の金字塔とも呼べる作品であり、知っている方も多いことと思います。この作品が書かれた時代では、政府の思想に反する者や作品は大きく罰せられていました。そんな中で世に放たれた、労働のリアルを描く『蟹工船』は、一般大衆の支持を集めると同時に、作者である多喜二は政府からのマークの対象にもされ、悲劇的な最期を迎えることになります。

 

 

作品中では、下級労働者たちのストライキを描いています。舞台は海の上の漁船で、当時にあった法律が適用されない、過酷な環境下。そこで天秤にかけられる、命と利益。そこで立ち上がった労働者たち。お国を相手にした戦いの幕開けです...

 

 

この本は読む者を選ぶ傾向がとても強いと思います。読んでいる途中で投げ出してしまう人や、そもそも共感をしない人が多い気がしています。その要因を一つ挙げるとするならば、「脳内に浮かぶリアルすぎる情景」なのではないでしょうか。多喜二の表現能力が卓越していることは言うまでもありませんが、実際に行われた長期にわたる調査も、描写に磨きをかける一端を担っています。僕個人としても頁をめくる手のスピードは速くなかったと記憶しています。何なら、苦しみながら読了した気がします。ただ、逆説的に考えるならば、それだけの心血を注いで描かれた作品だからこそ、こんなにリアルな苦しみを、文字だけで感じることが出来るのではないのかと思うのです。

 

 

過去から続く一本道の中で、こんなこともあったんだよ...と語り継がれていくことでしょう。

旅立つ貴方に幸あれ。

遂に、渡邉理佐卒業コンサートが幕を閉じた。今日は朝からどこか落ち着かなかった。今日という日が来て欲しくなかったような気もするし、門出を祝いたい気持ちもあった。とにかく複雑な感情だった。


全ては姉が買ってきた1枚のCDから始まった。そこから「けやかけ」を見るようになり、彼女を知り、段々と惹かれていった。偶然にも出身地が同じだった。そこにもシンパシーを勝手に感じていた。non-noのオーディションを受けたのが「欅坂を知ってもらうキッカケになりたい」という理由だったのが僕の中でとても印象に残っている。今では表紙も飾り、凄いモデルさんにもなった。
 
こう振り返ってみると、それがもう約7年前というのだから驚く。勉強中にも、移動中にも、イヤホンからは欅坂、櫻坂の楽曲がよく流れていた。今でも聴く度に、その頃の記憶が蘇ってくる。LAST LIVEがあったあの日、通学の電車の中で欅坂の曲を聴いていたら泣きそうになったのを覚えている。寂しかったし、どこか悔しかった。メンバーの涙を見て、自分も泣いていた。
 
でも今日のライブを見て、どこか救われた気持ちになった。あの日の無観客開催のリベンジとまでは行かなくても、最後に有観客で欅の曲をやれたのは良かった。「二人セゾン」での最後にタワーを作るシーン、一期生がこんなにも減ってしまったんだなとちょっぴり寂しくなった。欅の葉っぱが散ってるみたいで尚更だった。彼女の中でも、何か吹っ切れた思いのようなものがあるんじゃないかなぁ。青空とMARRY。僕が一番好きなユニット。メドレーを聴けて凄く嬉しかった。残るのもあと一人、菅井友香。時の流れを実感する。
 
サイレントマジョリティーの撮影も、欅坂のLAST LIVEも、櫻坂の初披露も、卒業コンサートも、すべて渋谷の地で行われた。そんな彼女がアイドルとしてのラストフレーズに選んだのは「青春は熱いね 全部渋谷で学ぶんだ」だった。思い出がたくさん詰まったこの場所で、この七年間をすべて回収するようなフレーズ。胸が熱くなった。
 
今日まで約7年間、彼女はアイドルとして生きてきた。欅坂を経て櫻坂へ。順風満帆だったかと訊かれたら、決してそうではなかったはず。ずっと応援してきたからこそ、輝き溢れる時も、辛さに耐える時も見てきた。どんな時も、グループのために先頭に立ち、引っ張り支えてきた。最後の向日葵を渡すところでも、みんなから慕われている彼女だった。本当に、本当にお疲れ様でした。大きな愛と感謝です。
 
そして、きっとまたすぐに会える。確証はないけど、そんな気がする。サヨナラは別れじゃなくて、未来での再会の約束だと思うから。貴方に幸せと喜びで溢れた未来が待っていますように。

改めて、約7年間、本当にありがとうございました。僕の青春は貴方と共にありました。これからも、羽ばたけ!理佐らしく!

螺旋階段を降り切ったとき、彼女は。

ジレンマ・・・あることに対して2つの選択肢が存在し、どちらを選んでも不都合があり、態度を決めかねる状態。

 

 

久しぶりに曲の考察を書こうと思う。

今回は櫻坂46の「僕のジレンマ」を取り上げる。


https://youtu.be/ZBk4V-uqcXs


この曲には全員が参加しており、センターを今シングル限りで卒業する渡邊理佐が務める。

MVは3月25日に公開され、現在の時点で149万回再生されている。

個人的には、映画のような壮大感と物語のエンディング感の両方がこの曲に含まれており、とても好き。

曲中では、旅立つ側と見送る側のそれぞれの心情を描いている。

では見ていこう。

 

 

頬を掠めて吹き抜ける温度のある風が
世界をもう一周廻り ここに戻って来るまで
僕の決心は揺るがずにいられるのだろうか

夢を追う代償は 残酷に過ぎてく時間だ

何を捨てて 何を得るつもりか 答えが見えない
僕が僕でいるために 僕じゃなくなる

 

オーディション合格。その時に吹いた風が、世界を一回りして、ここに戻ってくるまで。長い時間を経て、気持ちは変化していく。先に広がる夢への道。

仮面を被ったままで未来は見られない。仮面を脱ぎ捨てた時、僕は僕じゃなくなる。

 

ジレンマ
今すぐに行かなきゃいけない
わかっているのに 足が動かないんだ
ジレンマ
でも君を 一人だけ
残して行けない 心が引き裂かれるくらい

行きたい気持ちと、仲間を残して旅立つことへの葛藤。目の前に横たわる二つの選択肢は、どちらも難しさと悲しみを孕んでいる。

 

人生で大切なのは 選択することだ
すべてを手に入れようなんて 虫がよすぎるってこと
幼い頃から見てた夢 叶うと信じて
一番近くの誰かが かけがえない存在と気づく
「好きなんだ」
そんな僕の 身勝手なサヨナラでさえ 仕方ないねと
君にそっと微笑まれて 白旗揚げた

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがあるように、人生は取捨選択の連続である。

長く居続けた場所は暖かくて、そこに居るメンバーはかけがえのない存在になっていった。

彼女の別れの言葉に対するみんなの答えは、微笑みと優しさだった。

 

 

無理だよ
もう 僕は どこへも行かない
優柔不断と 言われても構わない
無理だよ
どちらかを一つだけ
選べと言うならば ここに残って後悔しよう

 

ここでは視点が残るメンバーの方に入れ替わる。

後悔するなら、彼女が去っていくこの場所に残って後悔しよう、と。

言い換えれば、彼女が去ったとしてもこの場所は存在しているのだ、と。

 

 

この世には何一つ 割り切れるものなんてない
生きるということは ジタバタともがくこと
誰も迷うことなく 真っ直ぐは歩けない
わかるだろう
いくつもの寄り道しながら (いくつもの足跡をつけて)
いつの日にか自分の道を見つける

 

残るメンバーからのエール。迷って迷って、時には寄り道をして自分の道を見つけて欲しい、貴方ならその道が分かるはずだと。

 

ジレンマ
ジレンマ
今すぐに行かなきゃいけない
わかっているのに 足が動かないんだ
ジレンマ
でも君を 一人だけ
残して行けない 心が引き裂かれるくらい
どっちへ進めばいいかわからない

 

どちらへ進むべきか?どこへ行くべきか?

それはきっと、彼女の心の中で決まっているはず。

 

 

鳥、仮面、メンバーが作る道、最後に一人で流す涙。

MVでは、この四つが印象的だった。

最初の羽ばたく鳥。鳥は欅坂46時代からたびたびMVに登場してきた。今回は一羽の鳥が飛び去っていく姿を捉えていた。これは渡邊理佐の旅立ちを表しているのだろう。

次に、仮面をつけて踊っているシーンも印象深い。仮面はアイドル=偶像の暗示であり、ラスサビでは仮面をつけずに踊っていることから、旅立ちへの決心が伺える。

(話の本筋から逸れるが、「無言の宇宙」のMVでは、渡邊理佐と守屋茜渡辺梨加にはそれぞれ駅にいるシーンがあった。それが卒業を示唆していたのではないか?という説がまことしやかに囁かれている。色々な考察があるかもしれないが、僕的には「最終の地下鉄に乗って」という曲の世界観を一部拝借した、というのが一番しっくりくる。この曲では、新たな世界への渇望を歌っている。駅→電車≒地下鉄→卒業への暗示と考えるなら、こじつけ感もあるが筋は通る。その頃にはすでに卒業の意思を固めていたのは間違いない。公に開かれたものをどう思うかは受け手の自由であるし、あの5分11秒の中に、こちら側がそこまで思考を広げられるものが詰まっていることが凄いことであるなぁ、と思う。もちろん、真実は誰かが言葉にしない限り謎のままだが。)

そしてメンバーが作った道。進む道が違えど、お互いに前へ進んでいることは変わりない。それぞれの未来が光り輝いていることを願うばかりである。

最後で一人で流す涙には、渡邊理佐らしさが詰まっていた。

なかなか涙を見せない彼女が崖の上で、一人涙を流しながら拳を強く握る。

これぞ渡邊理佐、というようなシーンだった。

卒業の時が刻一刻と迫っていることに寂しさを覚えるが、その先でどんな未来を描くのか、非常に楽しみだ。

 

p.s.遂に卒コン1日目を迎えた。明日のそこさくが楽しみな気持ちもあるが、それを見る頃にはもう彼女はアイドルとしての幕を下ろしていると考えると寂しい気持ちにもなる。あと、卒コンを見に行ける人が羨ましい・・・!!という気持ちをあとがきに記しておく。

緑と、懐かしの風景。時は巡り合わせを呼んで。

僕にとっては少し長めのゴールデンウィークだった。束の間の非日常を終えて、現実が押し寄せてくる。今は一人暮らしの家に向かう電車の中でこれを書いている。

コロナ禍は留まることを知らず、僕が通っている大学もオンライン授業が主になっている。それを逆手に取り、僕は帰省することにした。

実の所、さらさら帰省する気はなかった。ただ、家族からの「帰省しないのか??」というLINEの通知が鳴り止むことはなかった。それに加えて、コロナワクチン3回目の摂取の知らせが実家に届いていた。副反応のことも考えて、帰省に至った。

なんだかんだで実家は楽だ。ご飯も出てくる、家事をとりわけしなくても勝手に洗濯された服が出てくる。楽園である。一人暮らしをするようになってから分かるありがたみをより一層感じた日々でもあった(久しぶりに会ったウチの猫に威嚇をされたのは少し悲しかったが)。なんだかんだで長居をしてしまったから、生活リズムが少し崩れた。それを治すのが少し億劫なところ。

一方で、嬉しいこともあった。乗車券を購入して財布に入れている時、懐かしい声がした。色んな事情で2年ほど会えていなかった親友にばったり遭遇した。ただ、僕が乗る電車の発車時刻が迫っていて、お茶すらも出来なかったのが心残りである。また次会う約束を交わせたのは良かった。何よりも、とても元気そうだったのにホッとした。

電車は緑の中をグングン抜けて、次第にビル街へと向かっている。高い建築物にはまだ慣れない。そういう建物を見る度に僕は上を見上げてしまう。4年後の僕はどうなっているのだろうか?今から楽しみである。