折り重なった11の偶然が紡ぎ出した未来地図
三期生ライブの幕が閉じた。
9月12日、9月13日と2日間の東京での開催に先駆けたチケットは争奪戦であり、代々木じゃ箱が小さいのでは?との声を上げるファンも少なくなかった(もちろん筆者も代々木のチケットはご用意されていない)。
その後大阪での2日間の追加公演が決まり、そちらのチケットも類を見ない争奪戦になったのは言うまでもない。ちなみに筆者はステバのチケットで1日目に参戦した。ステバというほど舞台の後ろでもなく、実質的には見切れぐらいじゃないか?と思うほどには見やすい席であった。
”櫻坂46”というグループが着実に力を付け、ファンの数を増やし続けていることは紛れもない事実だ。更に、そこから一歩踏み出し、よりマクロとも言える、”櫻坂46三期生”というグループが、関東と関西で熱狂と興奮を生み出している。渦の中心にいる彼女たちを舞い上がらせるために、輝かせるために、さらなる高みへ誘うために、声援がこだまする、ペンライトが揺れる。色とりどりのペンライトで埋まった東京と大阪のあの景色は、彼女たちの努力の日々が、形となって表れたのだと、確信を持って言える。

2年前、東京ドームでの菅井友香卒業セレモニーを見ていた11人の少女たちは、様々な空想を、夢想を、したに違いない。
桜月の制作から参加することになった三期生に託された使命は、櫻の木を伸ばしていくことはもちろん、広がった枝先の彩りを豊かにすることでもあった。時が経つと共にグループを卒業していく先輩が増え、それに比例していくように、三期生への期待は増していくばかりだった。直近のシングルでは三期生が選抜に選ばれることも多くなったり、Backsのセンターを任されたりすることも増えてきた。遠い未来で、櫻坂46が歩んできた歴史を振り返る時、東京、大阪の会場を目一杯にしたこの三期生ライブは大きな足跡の1つとして語られていくだろうし、彼女たちの存在をいつまでも肯定し続けていくものになるだろう。

ライブ本編は、カッコよさと可愛さを兼ね備えた構成になっていた。基本的な櫻坂の路線としては、カッコいいものを作る、というものが共通認識の中におそらくあると思う。それゆえに、表題曲は自然とロックっぽいものや、ダンサブルなもの、激し目の雰囲気を纏ったものになる。いわゆる、”アイドルっぽくない”というやつだ。櫻坂の血を脈々と受け継ぐ三期生は”承認欲求”や”摩擦係数”、”BAN”などでその真価を発揮する。
ライブ一発目のトラックである”承認欲求”は、谷口愛季がセンターを務める。三期生として最初の楽曲、”夏の近道”のセンターを任されていることを考えると、彼女が始まりの瞬間、0番に立っていることは必然であり、歴史の開拓者であることを物語っている。

”摩擦係数”はオリジナルをリスペクトした形で構成していく。森田ひかる・山﨑天の身長差コンビで展開される様式を踏襲し、こちらも三期生の身長差コンビである村山美羽、谷口愛季のダブルセンターという形で披露された。ツーステージで向き合いながら踊る様子はぶつかり合いそのものであり、火花が散るようだった。

”BAN”は三期生合宿で課題曲となったもの。だからこそ、思い入れも人一倍あるだろうし、そこに対する自信と矜持が皆から滲み出ていた。フリフリでどこか可愛げのある衣装からは想像できないようなクールなダンスを見せつけられてしまったら、そのギャップに我々は降参するほかない。
一方で、”僕たちのLa vie en rose”や、”確信的クロワッサン”では愛嬌を見せ、ファンサなどをする姿は、まさにアイドル全開。幸せと笑顔を、楽曲の勢いに乗せて運んでくる。
特に”確信的クロワッサン”のセンターを務めた山下瞳月の表情管理は天才的であり、キュートとクールを併せ持つ彼女に、誰もが虜になった。


今回のライブで一番度肝を抜かれたのは、”Dead end”である。楽曲の強さは勿論のこと、メンバー、ファンの一体感が凄かったように感じる。その真ん中で舞い踊る村井優の姿は、エースとしてのそれを間違いなく持ち合わせていた。村井優のパフォーマンスを見るたびに、「新せ界」での”櫻坂46の表題曲センターになれたら”という言葉を思い出す。その夢が叶って欲しいと、強く思った日でもあった。10thシングルではBacksのセンターを務める彼女。新章の幕開けだと思う。彼女が思い描く青写真、目の前一面に溢れるペンライトと、信頼できるメンバーを従えて、櫻坂46を体現する日が来ることを信じている。
最近は三期生がDead endを披露することが増えていて、実際のところ、先日のロッキンひたちなかでも同構成で行われた。自業自得は山下瞳月が元々センターであることからも、お互いがお互いに寄せる信頼と自信で満ち溢れていた。また、それと同時に、この2曲から感じ取れる大胆さと、良い意味での荒削り感は今しか出せないものだと思う。年月が経って表現する大人な自業自得もいいかもしれない。ただ、今のフレッシュさと熱い闘志と、仲間を想う絆が生み出したパフォーマンスは唯一無二であり、完璧なバランスを保っているような気がするのだ。Dead endと自業自得の連続披露は、三期生が三期生たる所以を存分に発揮すると共に、"我々は立派な櫻坂46の一員である"と、身を削って証明してくれているようでもあった。
MCでも愛が溢れていた。大阪day1では、向井純葉が復帰。全曲フル参加とはならなかったが、彼女の愛嬌と眩しい笑顔が新たな彩りを添えたことは間違いない。みんなで「おかえり」の言葉を届けられたことが嬉しかった。リハでは、大きな場所で練習しているにも関わらず、休憩になるとみんなでギュッと集まってくることをどこか照れ臭そうに、でも嬉しそうに話す山下瞳月からは、三期生に対する信頼と愛が垣間見えた。day1のアンコールでの”夏の近道”前の谷口愛季のあまりにも綺麗な涙には、見ているこちら側にもグッとくるものがあった。そしてそれに愛のある視線と笑顔を向ける三期生もまた、優しさで溢れていた。

今回のライブを見て、改めて、”アイドルは魔術師なんだ”と思った。会場の空気を一気に掌握し、全ての視線を釘付けにする。時には緊張感が走り、息をすることさえ憚られる。かと思ったら、ピンと張りつめた空気の糸を一本ずつ解いていくように笑顔を見せ、喜びを届ける。ただ、その中には指一本でも触れてしまったらパッと消えてしまう花火のような儚さもあって、僕たちは触れられない。ひたすらに、彼女たちに振り回されるのだ。でも、不思議なことに、その環境は、時に熱狂を、時に幸せを、時に感動を届ける。だからこそ、永遠に、その魔法に酔っていたいとさえ思う。そしてその渦の中心にあるのは、紛れもない愛なのだ。

”永遠が終わるまで 夢を見よう”
果てしない日々の先に、夢から覚める時が来る。三期生にだって、いつかは、卒業する時が訪れる。それぞれが迎えるその日が、笑顔と幸せで満ちていて欲しいと思う。三期生は、不思議と、そう願ってしまう魅力で溢れている。
”いつか卒業する 遠いその日まで 僕に全てを 見届けさせてよ”
全てを見届けさせて欲しいなんていう贅沢は言わないから、少しだけ、見届けさせて欲しい、そして、一緒の瞬間を共有させてほしいのだ。
刻一刻と過ぎる時間の中で、彼女たちは確かに、一歩ずつ前に進んでいる。その道の先にあるのは、夢と卒業という、相反するような二つの事柄である。
今はただ、一秒でも長くこの夢が見られることを、彼女たちが櫻を咲かせ続けることを、信じてやまない。
咲かない人は、いない
この言葉の下、たまたま集まっただけなのかもしれないが、折り重なった11の偶然が紡ぎ出した”櫻坂46三期生”というひとつのグループは、運命的な何かを持って生まれてきたのだと思う。
偶然を運命に塗り替えてしまうほどの絆や愛、優しさを持った彼女たちが描いていく”未来地図”は、純白で美しい輝きを放っている。
花弁が舞い踊る櫻旋風の中心として瞬間最大風速を記録し続ける三期生。その勢いは、櫻坂46の背中を強く押し、更なる高みに連れていってくれるに違いない。







到達点ではなく通過点。末恐ろしさを見せつけた櫻坂46。
”新・櫻前線-Go on back?-”のツアーが、昨日、幕を閉じた。マリンメッセ福岡を皮切りとしたアリーナツアーを走り抜けたこの3ヵ月の間、時間はまるで彗星の如く過ぎていった。
時を2022年、2nd Tourの”As you know?” 東京ドーム公演まで遡る。菅井友香卒業と銘打ち開催された東京ドーム公演。あの大きな会場で華々しくグループを去っていった彼女の姿は、可憐に咲き誇る桜そのものを体現しているようだった。一方で、あの公演が、100%彼女たちの力だけで行えたものなのか?と訊かれると、個人の肌感覚では、素直にYESとは言えないと思う。菅井友香が持っていた矜持と執念じみたものが、東京ドームまでの扉を開いたと言った方が正しいのかもしれない。
時は2023年、3rd Tourに移る。このツアー中は、ファンのTwitterを見ても、メンバーのブログを見ても、悔しさが滲んでいた。会場に来てくれたファンのため、全身全霊でパフォーマンスをするというのは、ある意味で当たり前だ。チケットを買い、その対価にライブを見に来ているのだから。とはいえ、そこに空席があったらどうだろうか。たとえどんなにいいライブをしたとしても、「座席が全ては埋まらなかった」という事実は、残酷にも真正面からぶつかってくる。あの日々の悔しさや悲しみは糧となり、彼女たちの進む道を時には指し示し、時には照らしたのだと思う。
そして時は、2024年の4th Arena Tourまで舞い戻る。この1年から1年半の間、櫻坂46は濃密な時間を過ごし、大躍進を遂げたと言って間違いないだろう。大型フェスへの出演は勿論のこと、様々な番組への出演、海外進出、紅白帰り咲きなどと、目覚ましい活躍を見せた。その一方で、土生瑞穂、小林由依の卒業といった別れもあった。ただそれ以上に、三期生の飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍も筆舌に尽くしがたい。卒業していったメンバーたちの想いも抱えて、彼女たちは新たなフェーズへと進んでいく意思を固めた。そして、6月15日、6月16日の2日間、櫻坂46は東京ドーム公演を行ってみせた。2年の時を経て、櫻坂46が東京ドームに凱旋したのだ。辛酸と歓喜をもたらしたあの日々は、彼女たちを輝かせる一助となった。360度ペンライトで埋まった景色は圧巻であり、彼女たちの歴史を肯定しているようにも、未来での成功を確約しているようにも見えた。

ここからは内容を振り返っていきたい。
「Overture」で観客の期待を煽った後、山﨑天がソロで登場する。その時にしているポーズは、2期生お見立て会での、あのワンシーンを彷彿とさせるものだった。「欅坂46をアイドル界の頂点に導きます」というあのセリフが脳裏を掠めた。夢を語ったあの少女は櫻坂46の運命を担う一員となり、舵を取り続けてきた。前身の時と同様に、この櫻坂46というグループは、偶然か必然か、それは分からないが、ただとにかく運命的に、ストーリー性というものを宿してしまう。時に人々を熱狂の渦に巻き込み、時に人々を感情の荒波に誘い、時に神秘的で刹那的なパフォーマンスで人々の心の琴線に優しく触れてくる。そんな山﨑天がセンターを務める「何歳の頃に戻りたいのか?」はまさに、そのストーリー性を極限まで体現していた。
”過去に戻れやしないと知っている 夢を見るなら先の未来がいい”
思わず、一粒の涙を溢してしまった。悔しかった過去の経験から得たものを注ぎ続けてきた結果、覇王色のオーラを纏い舞い踊る彼女たちの姿からは、確かな未来のビジョンが透けて見えるようだった。その中には、ペンライトを持ちメンバーに視線を送るBuddiesの姿も確かにあった。安堵と、喜びと、感謝。滲んだ視界はより一層、ステージの輝きを増幅させた。

「Nobody's fault」も忘れられない。櫻坂46に命を宿した曲であり、その櫻坂46のストーリーを始めたのは森田ひかるであって、言わば原点なのだ。歴史の継承者であり、開拓者である。彼女は凛と舞う蝶のようにも、刺々しい美しさを持ったバラのようにも見え、佇まいで他を圧倒していた。
「Dead End」はMVを模した演出が秀逸であった。信号機の切り替え、車の騒音に気だるそうにしている森田はどこかスカしており、”やんちゃなボーイ”感がピッタリハマっていた。

「何度 LOVE SONG の歌詞を読み返しただろう」は、とにかく村山美羽がキレイだった。センターで舞い踊る姿は勿論、ふと見せる儚げな表情が曲に深みを与えていた。MV同様、机を使ったパフォーマンスも非常に印象的だった。推しメン、ありがとう。

個人的ハイライトは「真夏に何か起きるのかしら」。歌詞にそって女子高生の装いで登場した3人だったが、王道の山﨑、腰巻き純葉、セーラーこんなぎという並び。何なのだこのスリートップは。青春という言葉は、この3人のためだけにあるような気さえした。特にこんなぎのセーラー服には衝撃が走った。学校で噂されるマドンナ。振り向き様のボブの毛先が並んで揺れるその刹那、男子はきっと恋に落ちる。

「心の影絵」は、どこか違ったピースを持った3人であるように見えるのに、3人が合わさった瞬間、化学反応的な輝きを持ってステージを掌握していた。また見たいと思わせてくれるユニットだった。
「静寂の暴力」はまさに圧巻。水を打ったように静まり返った東京ドームに響く3期生の足音、それに呼応するようにオーラも増していき、空気を自分たちのものにしていく。この世界は数分間、完全に彼女たちのものであった。

「マンホールの蓋の上」は、1サビ前の”マンホールの蓋の上”での武元・松田の表情がピカイチだった。そこから息を撒いて放たれるサビは狂気の沙汰であり、真赤に埋め尽くされた客席は燃え盛る海のようで、カオスが充満していた。ラスサビ前の藤吉の視線はまるでレーザービーム。観客全員の心を打ち抜いた。

その流れで続いていく「BAN」、「承認欲求」、「Start over!」の表題曲ラッシュは、歴史をスローバックすると共に、各楽曲の力強さが前面に押し出されていた。
少し話は脱線するが、今回のライブの影の立役者は武元唯衣だと個人的に思っている。「油を注せ!」で中央にどっしり構える彼女には圧倒された。卒業したメンバーのポジションに代わって入ることも多く、また違ったエッセンスをパフォーマンスに加えていた。一つ思ったのは、存在感の塩梅がとても上手いこと。「油を注せ!」や「BAN」の2番でのセンターポジションに立った彼女は、周りをグイグイ引っ張って巻き込む、言うならば膨張性のようなものを持っていると思う。一方で2列目や3列目に居る際には、パフォーマンス全体の底上げに尽力し、安心感をもたらす。前回、今回のシングルと、惜しくも選抜からは外れたが、また、選抜の座に戻ってくることを、信じてやまない。

そして披露された9枚目シングルの表題曲「自業自得」。新センターを担うのは山下瞳月。また新たな歴史が櫻坂46に刻まれることになった。白を基調とした衣装はどこか「Nobody's fault」を想起させるものであり、その衣装に赤と青のペンキが飛ばされている様には、「真っ白なものは汚したくなる」という言葉が思い浮かぶ。過去への未練を語りながらも、”忘却の彼方だ その続き 始めればいい”という歌詞からは前向きな様子も伺えて、櫻坂46がこれから見せてくれる、披露を重ねるごとの進化が非常に楽しみである。

アンコールでは「Anthem time」と「ドローン旋回中」のリミックスver.が披露された。キラーチューンを本編で披露しない贅沢さ、豪華さに、お手上げ状態になった。
とにかく楽しい時間を過ごさせてもらったことに感謝しかない。それと同時に、あるMCのことを書かせてほしい。
新せ界での守屋麗奈の言葉を思い出す。
「いつか自分たちの本当の力で東京ドームに立ちたい」

1日目のMCで守屋麗奈に話が振られた際、彼女は「一緒に夢を叶えてくれてありがとうございます。」という言葉を紡いだ。その瞬間、この言葉が頭の中に巡り、また涙がこぼれた。ファン冥利に尽きる言葉だった。アイドルが我々に見せているのはほんの一面に過ぎず、見えないところで、辛さや苦しみ、悲しみ、時には怒りに耐えていて、一挙手一投足を見逃すまいとしているファンでも、計り知れないものが多々ある。そんな日々を乗り越えて掴んだ東京ドーム公演。感謝をしたいのはこっちの方なのに、其れでも尚「ありがとう」と伝えてくれる守屋麗奈のファン想いな心を、改めて感じた。それでいて表情は次を見据えていて、彼女の躍進をこれからも支えていきたいと強く思った。
最後にシングルについての話を。
6月26日に発売される櫻坂46の9枚目シングル「自業自得」。"9"という数字について問われた時、枚数以上の意味を、とてもとても深く、大きな意味を持つことを我々は痛いほどよく知っている。思い出されるあの緑色の日々を、救い出し、追い越していけるのは真っ白な彼女たちしかいないのだ。

”夢を見るなら 先の未来がいい”
純白に光り輝く櫻前線が突き抜けていく未踏の地。彼女たちを未来へ推し進める、押し進める証人として、今この瞬間に立ち会えていることを誇りに思う。
櫻坂46の、その先の未来を、その先の世界を見据える目は真っ直ぐ前を向いている。東京ドームという場所は通過点であって、その先に待つものに対する挑戦的な姿勢からは心強さを感じる。あの日々を超えてどこまでも止まることなく進んでいく櫻坂46に、沢山の愛が注がれ、数多の希望が射すことを願ってやまない。ここで終わりなんかじゃない。ここから始まるのだ。
Go on back?冗談じゃない。賽は投げられた。突き進め、櫻坂46。

一片の翳りの無い、美しい月を見上げて
2024年5月12日、山下美月が、七年半のアイドル人生にピリオドを打った。
偉大なスーパーアイドルだった。
時は2017年に遡る。緊張しながらも、真っすぐにカメラを見つめる目線は鋭く、その中には一種の覚悟めいたものが見え隠れした。後の軍団長になる、若月佑美に紹介され、初っ端から当時流行っていたサンシャイン池崎のギャグをやらされるなどという、とばっちりめいたことを受けながら、山下はそれをやり切った。
とにかく、面白くてかわいい子だな、と思った。
「不眠症」では久保史緒里とのダブルセンターに抜擢されたり、「シンクロニシティ」では初の選抜入り、勢いそのままにCancamの専属モデルになったりと、山下は目まぐるしい飛躍を遂げた。多忙による休業なども乗り越えながら、山下は、アイドル、そして乃木坂46という存在にさらに深く、密接に向き合っていくことになる。

一期生の卒業が相次いだ後、次のセンターを任されたのは、他でもない、山下美月だった。「僕は僕を好きになる」という楽曲はどこか山下自身に重なるところもあり、加えて乃木坂46というグループの一員になったことで気づかされた仲間の大切さのようなものをミドルテンポで歌い上げる。初披露の際、テレビにかじりつきながら、どこか安心感が自分の心を満たしたのを覚えている。その後、山下は後輩たちを支える立場となり、センター脇で安定感をもたらし続けた。女優業も並行して行い、ドラマにも継続的に出演。その面でも、乃木坂46という名前を売り続けた。

そして時は舞い戻り、2024年2月17日、山下美月が卒業を発表した。納得感と、ついにその時が来てしまったという悲しみの、相反する二つの感情が胸の中で渦巻いた。三期生は加入してから、七年以上が経っている。そんな中で、ここまでのメンバーが欠けずに残っているのが、逆に珍しく思える。常にグループの先頭を走ってきた山下美月。我々では計り知れない感情に、残されるメンバーは飲み込まれたかもしれない。
それでいても、卒業曲となる「チャンスは平等」は、一昔前のディスコを思わせるようなオールドな雰囲気を纏わせながら、山下美月が持つ明るさ、アイドル性を前面に押し出した楽曲となっている。これまでの卒業生が貰って来た楽曲とは方向性がかなり違うようにも見えるが、それもそれで「彼女らしい」と思えるのは、山下が活動の中で示してきた数々の功績の賜物だろう。

自身初のソロ曲の「夏桜」の作詞は山下美月自身が担当。特に印象的なのは”全て包み込みたかった 風も光も絶望も”というフレーズだろう。ウィットに富んだ歌詞だ。各期生ごとの楽曲のタイトルからアイデアを得ていて(三番目の風、四番目の光、絶望の一秒前)、山下がメンバー想いな人であることを再認識させられた。歌詞の表現はストレートなものが多く、山下の真っすぐさが垣間見える。

ここまで書いてきたが、どこか説明チックになってしまった。ここからは山下の卒業にむけて、ただの一ファンでしかない私が、文章を紡いでいきたいと思う。
山下美月を一目見た時に、「きっとこの子は人気になるんじゃないかなぁ」という思いがぼんやり心を掠めた。ただ、あの時の予想よりも何倍も、何十倍も人気になり、乃木坂46にとって大きく、重要な存在になっていった。嬉しい誤算とでも言うべきだろうか。ただ危うさも秘めているのかもしれないとも同時に思った。それゆえ、あの時の休業の際には、心がざわめいた。だからこそ、復帰後初のパフォーマンスを見た時に、安心と、確信が生まれた。「この子は乃木坂を背負って立つ存在になる」と。その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで階段を駆け上がっていき、時に山下は「鉄人」とも称されるような活動っぷりを見せた。演技面でも成長を見せていて、将来、山下が主演を張るドラマや映画とかが見れたらいいなぁと密かに思っている。
私は山下のブログを読むことが好きだ。山下の綴る言葉が好きだ。決して頻度が多いわけではなかったかもしれないが、節目節目ではブログを更新して、決意と想いを熱く綴ってくれた。不器用ながら真っすぐに届く言葉たちは、みんなの心を硬く掴んで離さなかったように思う。また、優しさで満ちていることも多かった。センターになる子に対して、柔らかく包み込むような、背中を支えるような言葉を伝えたり、ファンに対しては思いやりと感謝で溢れていたりと、真摯さを感じる。一方でメールの方では、少し気の抜けた、リラックスした文章が送られてくることが多かった。ほとんど毎日送られてくるメールが自分にとって日々の些細な楽しみになっていたことは言うまでもない。一日送らないと、ファンが「どうしたのだろう」と言い出すのは極めて珍しく、山下が「プロ」と呼ばれる所以かもしれない。

山下美月を一言で表すなら「炭酸水みたいな人」だと思う。様々なことをこなす要領と、真っすぐすぎるほどの心の在り方は、純粋な水にも引けを取らないほどだ。一方で、全てを自分一人で抱え込もうとする節もある。それは、振ることで噴出する炭酸さながらの危うさ。でも、だからこそ、皆、手を差し伸べたくなる、助けたくなる。呆れるほどに不器用で、だから愛おしい。その支えを受けて、彼女は更に奮闘する。新鮮な炭酸水のキャップを開けた時にはじける快音のように、足音を響かせながら、乃木坂46のための道を切り開き続けてきた。その姿を見てきた同期や後輩たちが、まだ見ぬ六期生が、これからどんな乃木坂46の歴史を作り上げていくのか、そして、山下がどんな道を歩んでいくのか、非常に楽しみだ。

卒業コンサートの感想も綴ることにする。
Day1では「制服のマネキン」、「キャラバンは眠らない」、軍団コーナー、「Rewindあの日」が特に印象に残った。
”僕に任せろ”でカメラにバシっと抜かれる山下の目は凛々しく、覚悟と気合いに満ち溢れていた。
”前の世代を超えろ”というフレーズが印象的な「キャラバンは眠らない」。この曲がリリースされた際、乃木坂の次世代を担うメンバーとして選抜された山下。次世代エースとして、グループに確かな歴史を作り上げて、支えてきたこと。乃木坂のメンバーと君のファンが、その証人になろう。
軍団コーナーと「Rewindあの日」では、先輩メンバーに対するリスペクトが感じられた。箸くんのネタを披露し、若様軍団の曲を披露するなど、軍団長に対する愛が溢れていた。「Rewindあの日」は、若月が卒業した後の7thバスラで、そこのポジションを引き継ぐ形で西野、桜井と共に披露した曲。特別な思い入れもあるのだろう。今回は山下、遠藤、井上という組み合わせ。未来が広がっているステージだった。
特筆すべきはサプライズ披露された新曲、「恋山病」だろう。
新たに、山下軍団なるものを結成し、作詞振付山下美月という何とも欲張りなセット。楽曲化が待たれる。
Day 2では「三番目の風」、「初恋ドア」、「無口なライオン」、「夏桜」が刺さった。
三期生として初めてもらった期生曲である「三番目の風」。自らの集大成を飾る日のファーストチューンにこの曲を選ぶ山下は本当に粋な人だ。
まだかまだかとファンの期待を煽った「初恋ドア」も遂にここで披露されることになった。卒業間際にこの楽曲を見せてくれたことに、本当に感謝したい。
「無口なライオン」は、賀喜とのユニット形式で披露された。目をグッと見開き、涙をこらえて歌う山下とは対照的に、賀喜は山下を温かい眼差しで見つめ続けた。先輩と後輩が卒業の際に組むユニットは、大概、感極まる後輩を先輩が宥めるといった構図が一般的である。ただそうじゃないのが、ちょっと不器用な山下らしい。
”涙こぼしても 君は王者なんだ”このフレーズは賀喜と山下の両方に当てはまる歌詞のような気がする。尊敬と慈愛で満ちた、二人の空間だった。
「夏桜」は外せない。素晴らしいスピーチのあと、「歌は苦手なのですが」と言いながらも、しっかりと歌い切ったその姿は感動的で、消えていくアイドルの儚さのようなものも感じた。
二日間通して披露された「世界で一番孤独なLover」は山下が好きと公言していた曲であったし、だからこそ彼女が真ん中で歌い踊るそれを見ることが出来て嬉しかった。
とにかく最高のライブだったと思う。「アイドルは私にとって救いだった」/「誰かの希望になれたら」と語る山下に対して、「目の前が真っ暗だった時に、希望になってくれてありがとうございました」と述べる賀喜。アイドルとしての山下美月が認められ、救われた瞬間だったのではないだろうか。「ずっと尊敬していたし、大好きでした」と語る久保とそれを見つめる山下。場所を変えながらも長らくシンメとして切磋琢磨してきた二人の双方向性のベクトルが密度と体積を増して一つに重なり、労いの言葉でありながら、戦友から親友に変わる過程を余すことなく見せてくれた。「皆さんが思っている以上に私は日々ファンの皆さんのことを考えてる」という言葉は胸に響いた。本当にファン想いな人だ。「新しい撮影をしてきた」「もう少ししたらお知らせできるよ」というメッセージやメールが届くと、すごくワクワクした。ファンの反応を見て笑顔になったり、喜んでくれる山下を見て、我々もまた、嬉しくなった。そんなことが、多々あった。東京ドームを二日間超満員にし、万感の思いでそれを見つめていた山下に、その事実とは、貴方が成してきたことの積み重ねが形となって浮かび上がってきたものなんだよと伝えたい。



山下美月による”ファンのことを想って出してきた結論たち”は、結果として、誰かの幸せとなり、希望となり、道標となり続けてきた。乃木坂46という物語の一ページに、山下美月は自らの名を、しっかりと刻み込んだ。そして、山下美月という一人の人間を作り上げるものは、努力・感謝・笑顔。これに尽きるのではないだろうか。
アイドルではなくなる山下の姿を想像すると、山下がいない乃木坂のことを想像すると、ちょっぴり切なくなる。実を言えば、まだ想像すらできない、貴方が偉大過ぎて。ただ、乃木坂46の看板を背負って山下が歩んできたこの七年半の軌跡はしっかりと皆の記憶に刻まれているし、誰もが認めるものだ。きっと山下は、私たちにとっての、忘れられない人だ。これから歩む山下の道が、非常に楽しみだ。いや、荷物を降ろして少し身軽になったが為に、全力疾走する貴方を応援するのも悪くない。あの走り方をしながら、それであってヒロインさながらに駆け抜ける山下を、息を切らしながら追いかけて、追いついたその先で、また一緒に笑い合えたらいいな、なんても思ってしまう。
三期生最終審査後のインタビューで「必要な存在になれるように努力したい」と語っていた貴方。あの時想像していた未来を、描くことはできましたか?それとも、そんな想像を優に超えた世界を見ることはできましたか?もしその手助けが少しでも出来ていたのなら、私はとても幸せです。ここまでの七年半、本当にお疲れ様でした。よく頑張りました。貴方が楽しく活動できていたなら、私もなんだかちょこっと嬉しくなります。「生まれ変わっても絶対にアイドルになりたい」という言葉を聞いて、貴方を推せたことを誇りに思いました。初めて「推す」ということをしたのが、山下美月さんで本当に良かったです。今でこそ他のグループもちょこちょこ推していますが、「最初の推し」は山下美月さん、貴方で揺らぐことはありません。花びらが散って、次の春への準備をしようと、青々とした葉を風に揺らす桜の木を見上げるたびに、山下美月という名前を、「夏桜」という曲を思い出すでしょう。
美しい月が照らす白道を、いつまでも、真っすぐに進んでいってください。その先で、多くの幸せが貴方の道に差し込むことを切に願っています。
改めて、山下美月さん、卒業おめでとうございます。本当に、お疲れ様でした。

「幸せになれよ!」


あの花は僕が大好きだった人だ
2日間に渡って開催された「小林由依卒業コンサート」が、幕を閉じた。
集大成を見せつけるかのように、圧倒的なオーラと表現で観客を魅了し、8年半のアイドル人生に終止符を打った。
2日間の中で、披露された欅坂46の楽曲は「風に吹かれても」「危なっかしい計画」の2曲だけであったが、それだけ櫻坂46に楽曲が集まってきたともいえるだろう。彼女の中では、2020年10月13日、あの日で、何もかもをやり切り、全てを宝物箱の中にしまっておくことを決めていたのかもしれない。
2日間の配信では計23曲を披露し、そのどれもで、過去最高を見せ続けてくれた。
その中でも、私の中で特に印象に残った楽曲を挙げていきたい。
ジャマイカビール
初っ端からのキラーチューン。楽曲を披露する三人からは覇気のようなものが感じられたが、その中でも小林由依は別格であった。一挙手一投足が、見るものを虜にした。
断絶
曲前のVTRから秀逸。小林由依が6回ドアをノックすることによって、楽曲を暗示させる。暗転の直後から始まるギターのストロークは観客を熱狂の渦に呼び込んだ。ビジュアル、パフォーマンス共にハイレベルなメンバーによって構成されているため、お互いがお互いを昇華し合うような構図になっており、一瞬たりとも目が離せなかった。
僕たちのLa vie en rose
個人的な解釈になってしまって申し訳ないのだが、この曲は一見恋愛の曲に感じられるが、卒業生に向けての激重な愛を歌った卒業ソングなのではないか?と思っている。
君は 全部全部僕のもの
こういった印象的な歌い出しで始まりながらも、2サビ終わりでは
美しい人生 永遠が終わるまで 夢を見よう
といったように、終わりや切なさを感じさせるフレーズが散りばめられている。
今回は、小林由依以外がみんな2期生であったことも、そういったことを強く思わせた一つの要因なのかもしれない。
危なっかしい計画
盛り上がって、みんなでタオル振り回して、思う存分はっちゃけられる曲。
青春は熱いね 全部渋谷で学ぶんだ
渋谷区にある代々木第一体育館。今まで何度もライブを行ってきた場所であり、今回の卒コンが行われた場所でもある。酸いも甘いも、喜びも悔しさもこの場所で沢山経験してきた彼女が、笑顔でこのフレーズを歌ってくれたことに、とても嬉しくなった。
Anthem time
3期生楽曲でありながら、小林由依が参加するという、今回限りのコラボレーションとなった。この楽曲は、ファンがアイドルへ向けた想いが歌詞になったような曲だが、この卒コンでは、小林由依から3期生、もっと言えば櫻坂のメンバーに対するエールのような楽曲に聞こえた。
大事なこととは必死さ
会場のボルテージ最高潮にして そんなメンバーがいたと 記憶に残してくれ
いつか卒業する遠いその日まで 僕にすべてを見届けさせてよ
涙が止まらなかった。離れても見守っているよ、必死に頑張ってねと背中とパフォーマンスで伝えているようだった。そして、小林由依さん、貴女のことを忘れることなんてないでしょう。いつまでも記憶に、心に残り続けます。
桜月
個人的ナンバーワン。楽曲の美しさと儚さが、「卒業」にピッタリというのは勿論のこと、演出が神がかっていたと思う。1サビでのステージを分かれてのダンス。
君を想う桜 風に吹かれて
この歌詞に呼応するように、お互いがお互いを想いながらパフォーマンスしているのが伝わってきた。
2番はステージの上下で分かれながらのパフォーマンス。
名残惜しく ゆっくり落ちて行け
ここでの小林由依の表情は、まさに桜が憑依しているようだった。
暗い夜空の先 確かに今も 満開の桜が見える
あの花は僕が大好きだった人だ
ここの演出が圧巻。舞い踊る小林由依に対して、このフレーズが舞い落ちた刹那、彼女は背を向け、フッと消え去る。まるで散っていく桜のように。
あんなに美しい散り方ができたらな
小林由依がいないまま、パフォーマンスは進んでいく。そこに彼女がいなくとも、楽曲は止まらない。みんなが、小林由依のことを想ってパフォーマンスしていた。旅立つ小林由依に尊敬の気持ちを見せ、華を添えながらも、「私たちはこれからも突き進んでいく」という決意表明のようにも見えた。

隙間風よ
小林由依が最初で最後のセンターを務める楽曲。歌詞は彼女にダブることも多く、長い年月彼女を見ている人ほど、グッとくるものがあるのではないだろうか。希望の空気によって燃え盛った炎。それによって、微かな風が、彼女を羽ばたかせるほどの追い風になって、彼女の背中を優しく、温かく、そして力強く押してくれることを願う。楽曲終わりの振り向き際の彼女は、輝きと美しさを存分に放っていた。
君がサヨナラ言えたって・・・
一人で舞い踊り、ステージに立つ姿は麗しく、幻想的であった。
もう振り向かないでよ いつか会える日まで
オルフェウス的なフレーズで終わるこの曲。いつかを信じて、ただ未来を真っすぐ見つめたその先で、貴女がどこかにいることを願っている。
タイムマシーンでYeah!
アップテンポでノリノリな楽曲ながら、歌詞では気恥ずかしさや切なさを歌っていて、よりいっそう観客たちをセンチな気持ちにさせる。会場にはOGたちも大勢いたらしい。欅坂、櫻坂と歩んできた仲間であり、友人。もしタイムマシーンがあったら、いつに戻りたいのか。そんなことを訊いてみたくなった。
櫻坂の詩
小林由依が、自らのアイドル人生を締めくくるのに選んだのはこの楽曲だった。きっとこれから私たちは、小林由依がいた「当たり前の日々」を思い出したり、懐かしんだりするだろう。時には、切なくなるかもしれない。ただ、そんな時、満開の桜を見て、彼女を思い出した時、また会えるのかもしれない。
8年半の間、その華奢な背中に沢山のことを背負って走り抜けてきた。欅という木を守り、さらに枝を広げようとした。櫻という木を支え、水を撒き、満開の日を夢見てきた。もしかしたら、「欅坂46の小林由依」として、ストーリーを終わらせる選択肢だってあったはずだ。それでも彼女は残り、櫻が咲く日をジッと待った。きっと、その日は昨日だったのだろう。涙を見せずに、凛々しく去っていった彼女は、「櫻坂46の小林由依」としてストーリーを終わらせることを選んだ。小林由依が櫻坂46から卒業するのか、櫻坂46が小林由依から卒業するのか。それは分からない。ただ一つ言えるのは、その後ろに控える、新・櫻前線の勢いはすさまじいということ。期待を背負って、残されたメンバーは咲き誇っていくだろう。3月から始まるアリーナツアー。彼女たちは全国で多くの人々を魅了し、沢山の櫻を花開かせていくはずだ。
そして、そんな櫻を育ててきたのは、小林由依の笑顔だったということ、私たちは絶対に忘れないだろう。



こっそり吸い込んだ希望の空気
10月16日、櫻坂46公式youtubeチャンネルにて、一本のMVが公開された。
楽曲の名前は、「隙間風よ」。この楽曲のセンターは、小林由依が務める。
ファンにとっては待望のセンター曲であった。欅坂46としてデビューしてからおよそ8年、彼女が正規にセンターとしてパフォーマンスする初めての楽曲である。
ただ、MVの雰囲気は荘厳でありながらも、どこか切なさを感じさせる内容だった。この時から、私はどこか近くにあることを分かっていて、見ずに蓋をしていた「終わり」を密かに感じてしまったのである。
ギターで弾き語りをする目は、真っすぐにカメラを捉えていた。八重歯が特徴的な子だなと思った。「サイレントマジョリティー」のMVで、自転車を一生懸命に立ち漕ぎしているシーンが印象に残っている。

作品を重ねるごとに成長していった彼女は、センター脇やフロントといった、重要なポジションを任されることが多くなっていった。そういった中で起こった活動休止や卒業、脱退の連続は、グループの活動に陰りを見せると共に、本来のセンターのポジションが空いてしまうという現象を引き起こした。そういった事態の中、彼女はセンターのポジションを任されることが多くなった。期待とプレッシャーに板挟みにされながら過ごした日々の厳しさは想像に難くない。強くならざるを得なかった。そんな中でも、彼女は自分なりの表現を描きながら、グループの道を切り開こうとしていた。欅坂46としての歩みは2020年に止まることとなるが、最後の配信シングルとして発売された「誰がその鐘を鳴らすのか?」では、実質的なセンターを務め上げた。欅坂46のアイデンティティとして強烈な存在感を発揮していた故に、彼女は、欅坂46を手放す、終止符を打つという宿命を背負い、真ん中に立ちエンドロールを見届けた。

「欅坂46を超えろ」と銘打ち、グループは、櫻坂46として新たに生まれ変わり、二期生を中心にしていくことになった。小林由依は、みんなに背中を見せる存在から、センターの背中を守る存在になっていった。とはいっても、どちらの役割にしろ、責任が問われる。彼女は、あの華奢な身体に、期待と重荷と想いと希望を背負って、歩みを進めてきたのである。
そうした中、発表された休業は、何時かの記憶が蘇ってくるようだった。ただ、そんな心配を吹き飛ばすように、2021年12月19日、武道館のステージに彼女は帰ってきた。キラーチューンの「ジャマイカビール」を引っ提げ、圧倒的なパフォーマンスで皆を虜にして見せた。こんなにかっこいい小林由依の背中を見て、後輩たちは憧れ、希望を抱き、多くのことを学んだはずだ。

三期生の加入、二期生の台頭などで、彼女は後輩たちの背中を見る機会が増えていった。見る、見られるといった立場が逆転する時、アイドルは大きな岐路に立つ。グループのために、道、方向を指し示してきた彼女は、自分自身のために、どんな道、方向へ進むのかを迫られることになった。仲間の旅立ち、後輩の目覚ましい成長を見た時、彼女の決断が卒業へと向かっていくのは、至極当然のことであり、むしろ自然な流れなのかもしれない。
思い返すと、「Start Over!」から、どこか雰囲気は出ていたのかもしれない。

君は僕の過去みたいだな 僕は君の未来になるよ
このMVで描かれる、欅坂46のアイデンティティの中心であった小林由依と、櫻坂46のアイデンティティの中心を担う藤吉夏鈴の構造は、櫻の木の内側には欅があるという一種の暗示であると共に、未来に向けて繋いできたバトンの受け渡しのようにも見える。未来との対峙を遂行したならば、終わりに向けて、過去と対峙していく。
ようやく内容は、冒頭で話していた部分へと戻る。
「隙間風よ」の歌詞からは、小林由依自身の日々が想像できる。
隙間風 音もなく どうして泣いてる?
傷ついても 慣れたから 感じない 何も
この歌詞には、休業していた時期が重なる。
「作り笑いも出来なくなった日。1日を歩むことってこんなにきつかったっけ。と、一度立ち止まりました」(小林由依2nd写真集 「意外性」より)
辛い日々を乗り越えて、戻ってきた彼女からは、力強さ、そして何より櫻坂46というグループの素晴らしさが証明されているだろう。「微かな風」を感じ、信じ続けていたのかもしれない。
このMVでは、欅坂46をモチーフにしたような演出が取り入れられている。
火で燃え上がる格子模様の枠組みは、「誰がその鐘を鳴らすのか?」のライブ映像(https://www.youtube.com/watch?v=fOL3JDWG7aQ)のものとよく似ている。この曲は、先ほども述べたように、欅坂46の幕引きの歌であった。そのイメージが使われ、壊される。場面の再生と破壊。どこかで見た言葉だ。確か、あの日の東京ドーム公演のテーマは「破壊と再生」だったのではないか…
ドライフラワーやビンタ後の無表情などと、乾いた質感で進んでいくMVの中で登場する灰は、統一感がある。ただ、あの格子が、欅坂なのだとしたら、それは生きる意味だったものであり、アイデンティティだったものである。だからこそ、丁寧に両手で灰を抱えている彼女に心打たれる。彼女は、優しく、そして静かに灰を地面へと撒いてゆく。櫻、欅といった木のイメージに重なっていく。破壊されたモチーフの灰を、再生を願って荒地に注ぐ。そこには瑞々しささえ感じられる。


燃え盛る格子の前で手を伸ばす彼女には、欅坂46の影がチラつく。もし仮に、その伸ばした手を誰かが取ってくれなくても、アイデンティティが崩れていこうとも、待っていれば、鐘の音が鳴る時が来るかもしれない。それを願って、希望を振り撒く。彼女が吸い込んだ希望の空気が、巡り巡って世界を廻り、櫻坂46に大きな花を咲かせるのを切に望む。
「人生の思い出として残してもらえたら十分です」(東京カレンダー2024年3月号より)
「自分がアイドルとして活動したことで、誰かを喜ばせることができたんだなっていうことに、私は幸せを感じました」(BLT2024年3月号より)
これらの発言からは、彼女の力強さと、歩んできた道のりに対する矜持がありありと感じ取れる。ファンとしても、貴方がいた日々を忘れることはしないだろうし、記憶の中で力強く、そして優しく存在し続けるだろう。大切なメモリーズ、色褪せぬように…
もう振り向かないでよ いつか会える日まで
see you again? see you soon?それは分からない。ただ、またすぐに会えるんじゃないか。だって、永遠を信じてるから。
彼女がこれから歩む道に幸せと歓びが満ち溢れていることを願ってやまない。
小林由依さん、8年間お疲れ様でした。本当にありがとう。



文学探索② 『老人と海』に見える二面性
さて、先ほどのブログでは日本の作品として『蟹工船』について書かせてもらいました。今回は少し趣向を変えて、海外の作品を見てみましょう。
今回取り上げるのは、ヘミングウェイが書いた名作中編小説、『老人と海』です。

この作品は1952年に出版されたもので、ベストセラーにもなっています。
内容としては単純明快で、漁師と一頭のカジキマグロの対決を描いています。三日間における戦いは、死闘という形容がふさわしく、まさに手に汗握る展開となっています。ただ、この作品には少々ツッコミ所が多く、読んでいると「これありえなくない?」となることもしばしば。漁師はかなり年老いた男であるのにも関わらず、三日間に及ぶ漁(しかも相手は大物のカジキマグロ)など出来るのでしょうか?答えはNoでしょう。ただ、文学作品、特にフィクションにおいて、「不可能」を「可能」にすることは、古より与えられたミッションであり、エンターテイメント性を上げるものであると僕は思っています。
この作品の内容は、上にも示しましたが、ある意味では、ありふれた普遍的な小説であるようにも思えるでしょう。なのに何故、この作品は多くの人から今でも読まれているのか?その答えは、ずばり「二面性」ではないでしょうか。
この作品において、殆どの場面は海上であり、とてもオープンな場所で物事が進んでいきます。
起こる出来事としては、カジキマグロの釣り上げ、帰り道での鮫から喰らう襲撃の二つです。僕としては、この、有頂天の気分からの落胆という一連の流れが、人生そのものの比喩にしか思えないのです。するとどうでしょうか。だだっ広い海という場所を舞台に、人生という、誰しもが抱える深い事柄を描いているという、「二面性」が浮かびあがってくるような気がします。また、老人は、眠っているときにライオンの夢を度々見ます。これは一人の漁師として、そして一人の男としての野心の現れではないでしょうか。
個人的には、最後の最後、観光客の一団の女と給使の会話の文章、これが名作を名作たらしめている理由だと思っています。「まぁ、人生こんなもんだよね」という、ヘミングウェイの悲観にも、達観にも思える会話文、いつ見ても痺れます。
おすすめBGM
ヨルシカ『老人と海』
乃木坂46『錆びたコンパス』
(個人的に合うと思った曲も併せて紹介していくつもりです。このコーナーが無い回があっても、あしからず。)
文学探索① 『蟹工船』に懸けられた命
お久しぶりです。初めての方は、はじめまして。
久しぶりにブログを更新しようにも、何を書こうかなぁと思い悩んでいたのですが、読んだ本の備忘録的なものが書けたら良いのではと思い立ち、こうしてキーボードをカタカタと打っている訳であります。
さて、一発目にどの本のことを書こうと考えた結果、小林多喜二が書いた『蟹工船』について書いてみようと思います。

僕がこの本を読んだのは高2の冬だったと記憶しています。個人的に本の記憶というのは季節や気温に紐付けて蓄積されていくと思っています。その点では、冬にこの本を偶然に手に取り読むことが出来た僕は、ある意味ラッキーなのかもしれません。
この作品は、プロレタリア文学の金字塔とも呼べる作品であり、知っている方も多いことと思います。この作品が書かれた時代では、政府の思想に反する者や作品は大きく罰せられていました。そんな中で世に放たれた、労働のリアルを描く『蟹工船』は、一般大衆の支持を集めると同時に、作者である多喜二は政府からのマークの対象にもされ、悲劇的な最期を迎えることになります。
作品中では、下級労働者たちのストライキを描いています。舞台は海の上の漁船で、当時にあった法律が適用されない、過酷な環境下。そこで天秤にかけられる、命と利益。そこで立ち上がった労働者たち。お国を相手にした戦いの幕開けです...
この本は読む者を選ぶ傾向がとても強いと思います。読んでいる途中で投げ出してしまう人や、そもそも共感をしない人が多い気がしています。その要因を一つ挙げるとするならば、「脳内に浮かぶリアルすぎる情景」なのではないでしょうか。多喜二の表現能力が卓越していることは言うまでもありませんが、実際に行われた長期にわたる調査も、描写に磨きをかける一端を担っています。僕個人としても頁をめくる手のスピードは速くなかったと記憶しています。何なら、苦しみながら読了した気がします。ただ、逆説的に考えるならば、それだけの心血を注いで描かれた作品だからこそ、こんなにリアルな苦しみを、文字だけで感じることが出来るのではないのかと思うのです。
過去から続く一本道の中で、こんなこともあったんだよ...と語り継がれていくことでしょう。