ポタクのあれこれ。

僕の脳内の話。

文学探索① 『蟹工船』に懸けられた命

お久しぶりです。初めての方は、はじめまして。

久しぶりにブログを更新しようにも、何を書こうかなぁと思い悩んでいたのですが、読んだ本の備忘録的なものが書けたら良いのではと思い立ち、こうしてキーボードをカタカタと打っている訳であります。

 

 

さて、一発目にどの本のことを書こうと考えた結果、小林多喜二が書いた『蟹工船』について書いてみようと思います。

僕がこの本を読んだのは高2の冬だったと記憶しています。個人的に本の記憶というのは季節や気温に紐付けて蓄積されていくと思っています。その点では、冬にこの本を偶然に手に取り読むことが出来た僕は、ある意味ラッキーなのかもしれません。

 

 

この作品は、プロレタリア文学の金字塔とも呼べる作品であり、知っている方も多いことと思います。この作品が書かれた時代では、政府の思想に反する者や作品は大きく罰せられていました。そんな中で世に放たれた、労働のリアルを描く『蟹工船』は、一般大衆の支持を集めると同時に、作者である多喜二は政府からのマークの対象にもされ、悲劇的な最期を迎えることになります。

 

 

作品中では、下級労働者たちのストライキを描いています。舞台は海の上の漁船で、当時にあった法律が適用されない、過酷な環境下。そこで天秤にかけられる、命と利益。そこで立ち上がった労働者たち。お国を相手にした戦いの幕開けです...

 

 

この本は読む者を選ぶ傾向がとても強いと思います。読んでいる途中で投げ出してしまう人や、そもそも共感をしない人が多い気がしています。その要因を一つ挙げるとするならば、「脳内に浮かぶリアルすぎる情景」なのではないでしょうか。多喜二の表現能力が卓越していることは言うまでもありませんが、実際に行われた長期にわたる調査も、描写に磨きをかける一端を担っています。僕個人としても頁をめくる手のスピードは速くなかったと記憶しています。何なら、苦しみながら読了した気がします。ただ、逆説的に考えるならば、それだけの心血を注いで描かれた作品だからこそ、こんなにリアルな苦しみを、文字だけで感じることが出来るのではないのかと思うのです。

 

 

過去から続く一本道の中で、こんなこともあったんだよ...と語り継がれていくことでしょう。