ポタクのあれこれ。

僕の脳内の話。

何かが欠けているここ数日の暑さ。

こんにちは。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は暑くもなく、過ごしやすい1日だったが、昨日、一昨日は『冷房入れた』というツイートをよく見かけた。

僕も、一足、いや二足も三足もはやい夏の到来か!?とも思ってしまったほどだ。

急に列島を襲った暑さに体も慣れておらず、より暑く感じる気がする。

 

 

だが、この暑さ。

何かが物足りない、何かが欠けていると思った。

その『何か』は何なのか。

思考を巡らせると、ひとつの答えが浮かんできた。

それは"季節感の無さ"だ。

 

 

夏のような暑さなのに、蝉の鳴き声が聞こえない。

もちろんその他にも理由はあるのだけれども、それにどこか寂しさ、物足りなさを感じてしまったのです。

 

 

ここでひとつ問いかけを。

春夏秋冬、それぞれの季節において、何か印象的な物、出来事はありますか?

例を挙げてみましょう。

春なら、出会いや別れ、桜とか。

夏なら、プールとか、それこそ蝉とか。

秋なら、紅葉だったり、食べ物が特に美味しかったり。

冬なら、温泉とか、雪とか。

 

 

それぞれにコレ!といったものがある。

春に雪が降ったり、冬に桜が咲いたりする世界線も面白いかもしれないが、どこか違和感がある。少し、ほんの少しだけズレを感じる。

 

 

何故そんな『ズレ』を感じたのか。

僕が思うにだが、四つの季節が巡り、それぞれにしっかりとした特色があることに加えて、3ヶ月という短いスパンで季節が移り変わる日本に住んでいるからこそだと思う。

 

 

それぞれの季節に目を凝らし、良さを見つけ、それを身体で感じる。

春風に舞う桜の花びらを見て心踊らせたり、夏の暑い季節に冷えた缶の炭酸をグッと喉に流し込んだり、秋の夜長の月に目を輝かせたり、冬の寒さに凍えながらコタツで団欒したり。

 

 

それがもし、雪景色の中で蝉が鳴いたら、満開の桜の隣で向日葵が咲いていたら。

きっと不自然に感じるだろう。

 

 

つまり何が言いたいかというと、ある季節の特色のひとつが現れたとしても、その他の様々な要素が現れなければ、それは明らかな『ズレ』であり、"違和感"を感じさせるのであるということ。

昨日、一昨日の暑さはそれを妙に表していたと思う。

 

 

逆を言えば、季節の要素が揃い、それらが重なった時の美しさや良さを改めて感じた気がする。これを感じられるのは、俗に言う「和の心」を持つ日本人ならではなのかとも思った。

暫くは、その美しさや良さを外に出て感じられないのが少々残念だが、また来年、再来年にそれを感じられることを願っている。

 

 

 

あとがき

 

今回のこのブログを書いてる際、突然ふっとある曲の歌詞を思い出した。

"一瞬の光が重なって

 折々の色が四季を作る

 そのどれが 欠けたって

 永遠は生まれない"

欅坂46の『二人セゾン』だ。

 

 

光・色=季節の要素。

ずっと回り続ける世界の中で、刹那的な要素が偶然重なって作られる季節。

だからこそ、人はその一瞬一瞬をより一層儚く、美しいと感じるのかもしれない。

(『偶然が織り成す世界』みたいなタイトルでまたブログも書こうと思ってるので、ぜひ読んでくれたら嬉しいです)

 

 

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どこか夏を感じさせる山下美月渡邉理佐を添えて。

 

 

ではここらへんで。

また。